Activity2015年度の活動内容

クリミア訪問記

クリミア訪問記
  —— 友愛理事長 鳩山由紀夫

なぜクリミアに行ったのか

一躍クリミアが日本人に有名になった。それまで誰も気にも留めていなかったのに、私がクリミアに行ったものだから、突然、騒ぎ始めた。 それにしても、私がクリミアに行くと言うことが知られてからの、私に対する批判の嵐は常軌を逸していた。「宇宙人だ」、「日本人ではない」、「パスポートを取り上げろ」、果ては「ハニートラップにかかった」。これらの方々は、ウクライナ問題をまるで知らないか、アメリカ側からの情報をそのまま鵜呑みにする政府と多くの大手メディアの報道を、そのまま信じている人々に違いない。
なぜ私がクリミアに行ったのか。
まさにそれは、西側からの情報と真実が余りにも乖離していたからだ。それで日本に損害がなければ、それでも構わなかったかもしれないが、日本の国益をそれによって損なうのではないかと大変に恐れた。それで、事実をこの目で確かめるために、百聞は一見に如かずと、クリミア行きを決めたのだ。私より池上彰さんのほうがよほど先に見て来られていたのに、なぜ私だけに批判が集中したのだろうか。
昨年の三月十六日にクリミアが住民投票を行い、ウクライナから独立しロシアへの編入を決めた途端に、アメリカを中心に欧米諸国は「ロシアの侵略だ」として、ロシアに経済制裁を科した。日本もそれに倣い軽微ではあるが制裁を科した。何でもアメリカに追従するのだ。
結果として、プーチン大統領の来日は延期され、実のある首脳会談を開くことができなくなり、北方領土問題を正面から扱うことが出来なくなった。日本の対露外交で最も重要なテーマは北方領土問題である。そして私は、親日的で右寄りのプーチン大統領の時に解決せねば、永遠に解決できなくなるのではないかと危惧をしている。
昨秋、ナルイシュキン国家院議長を訪れたときに、「日本の政治家の間違いで、制裁が科されたことは誠に遺憾である」と、珍しく強い口調で話された。折角、プーチン―安倍の良好だった関係が、「間違い」で台無しになってしまい、北方領土問題が遠のいてしまうのか、「制裁」は本当に必要なものなのか、実際にクリミアに行かなければ分からない、そう判断したのである。

クリミアの歴史

クリミアは歴史的にさまざまな変遷を遂げているが、北方領土になぞらえて申せば、「ロシアの固有の領土」である。紀元前はギリシアの植民都市であったり、東ローマ帝国の支配下に入ったり、クリミア・ハン国が支配したりしたが、一七八三年に露土戦争の結果、ロシアに併合された。一九五四年にフルシチョフ書記長がソ連邦の中で、友好の証としてクリミアをロシア共和国からウクライナ共和国へ割譲した。そして一九九一年にソ連が崩壊する直前にウクライナが独立を宣言して、クリミアもウクライナの一部とされた。実は、その当時にもクリミアで住民投票が行われ、九三%の住民がロシアへの帰属を希望したが、その時にはロシア指導部に無視されて、クリミア自治共和国としてウクライナの一部に留まったのである。そして二十三年間、クリミアはウクライナの中で人権など虐げられてきたのだ。
そして二〇一四年二月、ソチで冬季オリンピックが行われ、プーチン大統領が手を出せない時を狙って、アメリカが親露派と見られていたウクライナのヤヌコビッチ政権を打倒するために画策した。
ヤヌコビッチ大統領がEU加盟の前提としてのウクライナEU貿易協定を見送ると決定したことが、数百名の小さな抗議集会を生んだが、それが瞬く間に多くの死者が出る暴動となり、大統領辞任に至った陰にネオコン集団の扇動があった。この暴動では多くの死傷者が市民のデモ隊と治安部隊の双方に出て、非難を浴びたヤヌコビッチ政権が倒れたが、実は双方は同じ銃弾で撃たれており、ネオコンが指導して狙撃したものと言われている。このような事実は日本ではまず報道されていない。

クリミアの実状と友愛理念

新しい親欧米派の政権は、ロシア語を公用語とすることや、セヴァストポリのロシアの黒海艦隊の駐留を無効にするなどの意思を持っていたため、ロシア人の多いクリミアとしては、これ以上人権が守られなくなることに危惧を抱き、市民が二度目の住民投票を行ったのである。この住民投票を阻止しようとウクライナ軍が攻めてこようとした。それをロシア軍が防いだ事実はあるようだが、投票自体は順調に行われ、問題ないことが確認されている。そして九〇%以上の投票者がロシアへの編入を望んだのである。ロシアの兵士が民間人に圧力をかけていたというのは全くの嘘であることが言葉だけでなく、実際に行ってみて良くわかった。
欧米はクリミアのロシアへの編入は国内法や国際法違反であるとして非難をしている。しかし、クリミアは民族自決権を謳った国連憲章を根拠としている。また、ウクライナ自身、先ほど申したように、ソ連から独立する際に同じことをしている。さらには、セルビアからコソボが独立したときも全く同じで、それを欧米は支持したのである。その際には、アメリカは「独立宣言は往々にして国内法に違反するものである」ともわざわざ主張している。領土の主権と民族自決権が衝突する場合に、どちらを優先するかの問題は確かに難しいが、私は歴史的な経緯と民族自決権を大事に考えるのが友愛の理念と合うと思う。
現地ではベラヴェーンツェフ・クリミア連邦管区大統領全権代表、アクショーノフ・クリミア共和国首長、コンスタンティーノフ議長などの指導者にお目にかかったが、みなさん明るく、逞しく、自信に満ちていた。経済制裁のために暫くは苦しい環境も予測しながら、むしろ産業を興すチャンスであると希望に溢れていた。この一年の政権運営が非常に民主的で、少数民族に対する人権の配慮も行き届いており、クリミア・タタール人でさえ、今では九九%の人がロシア人のパスポートを所有していると聞いた。 私はクリミア連邦大学とモスクワ大学セヴァストポリ分校の二校で講演を行うことが出来た。そこでは友愛の理念の尊さと、その理念の実践としての東アジア共同体の必要性を説いたが、学生たちは実に真面目で真剣に聴いてくれた。活発な意見交換ができた。彼らは生き生きとしていたが、やはりこの一年を喜んでいるのが表情に見て取れた。それはけっしてロシアに蹂躙され侵略された中での作られた笑顔ではなく、自由と平和を謳歌することができるようになったことを喜んでいる幸せな顔であった。子どもたちを見れば良くわかるものだ。
クリミアは風光明媚なところである。とくに第二次世界大戦後の処理を決めたヤルタ会談が行われたクリミア半島の南端に近いヤルタ周辺は美しく、リヴァディア宮殿ではルーズベルト、スターリン、チャーチルの蝋人形にお目にかかった。スターリンが真ん中に偉そうに座っていた。黒海で獲れた魚介類は日本人の口には合うに違いない。また、セヴァストポリの辺りにはケルソネソスのギリシア時代の遺構が発掘されており、東ローマ帝国時代まで栄えた町の面影を窺い知ることが出来、古代史の好きな方には必見である。残念なことに経済制裁のために景勝地を訪れる者が減少しているのは、お互いに勿体ないことである。リヴァディア宮殿ではヤルタに住む一人の日本人女性にお会いしたが、郵便物や荷物が届かないと、制裁のことをとても嘆いておられた。こんなところにも、日本の制裁の悲劇があるのだった。

自分の目と頭で判断する

私はクリミアを訪れて、住民のみなさんが普通に平和に暮らしていることを十分に感じ取れた。旅行中に兵士に出会うこともなかった。自分たちの自由意思でロシアに編入をしたことを喜び、現在の状況に自信を持っていることもわかった。そして、日本政府が、アメリカのお付き合いで、したくもない経済制裁を続けていることに対して、本当に必要なことか、自分の目と頭で判断してもらいたいと切に願う。 モスクワに寄り、ナルイシュキン議長とお会いしたが、「日本の有力な政治家と意見交換したが、『経済制裁は合法的でなく、恥ずかしい』という反応だった」と述べられた。また、私のクリミア訪問について、「日ロ関係発展のために行動されたことに、歴史的な意義を感じた」とも話され、プーチン大統領も感謝していると付け加えて下さった。何事もアメリカが正しく、ロシアが間違っているとの狭い了見でなく、日本政府やメディアが広い世界観と大きな心を持って、正しい判断を行い、プーチン‐安倍会談が円滑に行われ、領土問題が解決に向けて再び動き始めることを期待する。それが宇宙人としてのたっての望みである。

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