Activity2015年度の活動内容

懸け橋 エヤップ友好五〇周年記念訪問 友好関係合意書調印

~新たな歴への第一歩 先人の尽力に敬意~
核拡散防止に関するシンポジウム ウィーン市長主催レセプション出席

六月十二日(金)から六月二十五日まで、(第一陣十二日~十九日/第二陣十五日~二十五日)日本友愛協会とオーストリア勤労青年連盟(エヤップ)の友好五〇周年を記念して、友愛訪墺団がウィーンを訪問した。五〇周年記念式典を始め、多くの行事に参加、友好の絆を強めた。エヤップとは新たに友好協議書を作成、今後も友好関係を続けて行くことが確認された。鳩山由紀夫理事長は、読者に自分の言葉でお伝えしたいと自ら報告を認められた。読者の皆さまにも、その雰囲気を味わっていただけるよう、写真と共に掲載し、報告とさせていただきます。
訪墺団団員名(敬称略・順不同):鳩山由紀夫・鳩山幸・川手正一郎・戸澤英典・高橋啓三・島崎照代・三ツ石潤司・本島阿佐子・ヨズア・バルチュ・原俊子・川手祥右・高橋佳大・羽中田元美(事務局)・河口ミヒャエラ(通訳)

日墺の小さな懸け橋を育てたい
  —— 日本友愛協会理事長 鳩山由紀夫

エヤップの「おもてなし」に感謝

私は「おもてなし」は日本の誇るべき文化と思っていました。ところが、私ども日本友愛協会を迎えてくださったエヤップ(オーストリア勤労青年連盟)の方々の心配りは、日本の得意芸が真っ青になるくらい素晴らしいものでした。まずはウィーンの空港に着いた時から空港を離れる瞬間まで、身をもって友愛を示して下さったエヤップのみなさんに心から感謝を申し上げます。
クーデンホフ・カレルギー伯の薦めで始まりました友愛協会とエヤップのお付き合いは今年で満五〇年、エヤップのご招待を受けて伺った十四名の友愛のメンバーたちは、それぞれ「夢のようなウィーン」の日々を満喫したことと思います。私にとっても、政治家時代にはあり得なかった、ゆったりとした解放感を味わうことができ、人生のオアシスの一週間でした。
泊まったホテルはハプスブルグ皇帝が狩猟の館として使ったシェーンブルン宮殿の正面にありました。もちろん、宮殿の中に入り、マリア・テレジアが使用した部屋などを見物もしましたが、人混みが激しいので適度で切り上げ、それよりも広い庭を散歩コースにして楽しませてもらいました。

国連機関CTBTO(核実験禁止条約機構)訪問

ウィーンにはいくつもの国連機関があります。時間があれば伺いたいと申し入れておりましたら、土曜日にも拘わらず、CTBTO(核実験禁止条約機構)を視察させていただき、ブルキナファソ出身のゼルボ事務局長が丁寧に応対して下さいました。
世界中の放射能測定器から時時刻刻の値が入ってきており、3・11の時にもあっという間に放射能が世界中に拡散していく様子が見られたそうです。
土曜の午後は美術史博物館で、中世の画家のタッチとしては珍しいので好きなルーカス・クラナッハの絵を発見し、一人で興奮していました。

オペラハウスでドンジョバンニ鑑賞

夕刻はオペラハウスの隣のホテル・ザッハーで、エヤップのシュスラー名誉会長ご夫妻と共にサーモントラウトの豪華な夕食をいただきました。さすがにここで生まれたザッハトルテの味は格別でした。
その後、ドンジョバンニを観て、歌唱力に感激。描写も激しく、オペラでここまでやるのかと、またもや興奮の一日でありました。

ウィーン郊外での一日

日曜はシュスラーさんのお嬢さん(エヤップ事務局長)の案内で、バスでウィーンから西にドナウ川沿いに向かい、ゆったり流れるドナウ川を眺めながら、お城で昼食、「生きていて良かったぁ」と。バスは更に奥に入ると、上半身裸の鍛冶屋のおじさんの出迎えがありびっくりしましたが、彼に教わりながら、妻はトンテンカンと叩いていました。夕食後、白夜の中で地元独特の吹奏楽を聴き、中世の衣装を纏った夜回り隊の一員に加えていただくなど存分に楽しみ。ホテルに戻ったのはそろそろ翌日になる頃でした。

核軍縮に関するパネルディスカッション

翌日のメインイベントは青年たちとの核軍縮に関する討論会でした。午前中に、竹歳誠在オーストリア大使を大使館にお訪ねし、午後から一路会場のある街に向かいました。とにかくその会場の素晴らしいこと。クロースターノイブルク修道院の一室で行われましたが、その修道院にはオーストリア大公の冠など九〇〇年にも及ぶ貴重な文化財が陳列されていました。もったいなくもその一部屋で、オーストリアの軍縮局長クメント氏などとの間で討論会を行いました。
私からは、核兵器保有国が核を捨てることはなかなか進まない、憎しみの種をなくす努力をすることが大切であり、友愛を広めることが有意義であるという趣旨の話をいたしました。若者たちが熱心に質疑をしてくれたことに感激しました。

クーデンホフ・カレルギー伯の母青山光子の墓に献花

火曜はクライマックスを迎え、午前中にクーデンホフ・カレルギー伯の母青山光子(墓石はMitsuみつ)の墓前に、それぞれ思いを込めて花を添えてお参りをいたしました。今回は供えられていませんでしたが、日本人は醤油が好きだろうと、観光客が醤油を供えることが多いと伺いました。同じ墓地にエヤップの初代会長のブッフヴィーザー氏の立派なお墓の部屋もあり、そちらにもみなで花を添えました。ひと月ほど前にブッフヴィーザー会長のご夫人が亡くなられたと伺い、併せてご冥福を祈りました。 お昼はホテル近くの有名なレストランで、ターフェルシュピッツという牛肉の煮込み料理をいただきました。牛肉を骨つきで長時間煮込んだスープは絶品でした。幸などは四、五杯お代わりをしていたようでした。

友好50周年記念式典 ―懸け橋―

友愛協会とエヤップとの五〇周年を祝う記念式典は、寄宿舎の立ち並ぶエヤップの敷地内で行われました。初代会長のお嬢様や五〇年前をご存じの方など、ゆかりの方々がお見えくださいました。エヤップのペルコビッチ会長方と友愛協会理事長の私との間で、“Preserving Bridges”と書かれた、両団体の協力の合意書に署名を行いました。その合意書には、「両者の友愛の協力」の方法として、両団体の情報の交換、若者交流や文化イベントなどの社会奉仕プログラムの展開、両団体が協力する第三国への貢献事業などを行いたいと書かれていました。ここまで期待をされていることに有難い思いを抱きながら、友愛協会の未来に向けて、責任の重さを感じたところです。故中嶋信行理事をはじめ、両団体の交流に力を注いで来られた先輩諸氏に敬意を表します。継続は力なり。そして未来に向けて日墺の小さな架け橋を大切にしなければ。

ウィーン市庁舎へホイプル市長訪問

水曜の午前中はウィーン市庁舎にて、ホイプル市長ご招待のレセプションをしていただきました。本来はフィッシャー大統領がお招きくださることになっていたそうですが、急きょドイツに旅立たれたとのことでした。現在、EUはシリアなどからの難民問題とギリシャの債務問題を抱えているので、しばしばトップ会談が行われているようでした。自信満々のホイプル市長は、自分より市長職の長い市長は十三世紀にはいたようだが…などとご機嫌で、予定の時間をはるかに超えてお付き合いをくださいました。

返礼晩餐会開催

シュテファン大聖堂などの観光やショッピングを少しの間楽しんだ後、最後の夜は私が主催する返礼の晩餐会を、大聖堂をガラス越しに眺めることのできる素晴らしいイタリアンレストランで開きました。みなさんこのレストランは初めてと仰っていましたが、料理もおいしく大層気に入っていただけたようでした。友愛協会の一行には、ドイツ歌曲関係者も数名おりましたので、和気あいあいのところで、彼らからオーストリアと日本の双方の歌の披露があり、盛り上がりを見せました。事務局の羽中田さんから抹茶のサービスも。
ハプニングはと言えば、通訳の女性が討論会の直後に心筋梗塞気味になり入院をしたことでした。ここでも今回の訪問を取り仕切ったビンマー専務理事がそのきめ細やかさを発揮し、病院に連れて行ってくださったので事なきを得ました。彼女はその後快方に向かったと伺い安堵いたしましたが、彼女がいなくなった後半は、急きょドイツ語を話せるドイツ歌曲の先生方に助っ人として頑張っていただきました。先生方に感謝です。
健康と言えば、川手常務理事の元気なことには驚きました。散歩の道すがら、川手理事とエヤップとの協力を含め、友愛協会の今後について相談いたしましたが、具体的に何をするか考えていこうと言うことになりました。七日目の朝、私どもはサンクトペテルブルグで行われていた経済フォーラムに出席するために、一足先にウィーンを発ちました。ウィーンを離れた瞬間に、時計が通常の動きに戻ったようでした。

日本友愛協会 活動詳細
のトップに戻る