Activity2016年度の活動内容

既植林地を訪ねて 友愛植林地視察訪中報告

自然が創り出す力に感動 乾燥土の山肌はすべて緑に 豊かな山が豊かな村を作る
人々の心にも友愛の気持ちが 友愛の石碑はいつまでも

平成二十八年七月六日(水)から十六日(土)の十一日間、国際交流事業の一環として「友愛既植林地視察訪中団」が派遣された。これは平成十二年度より実施している「中国における植林活動」の経過を観察し、地域の方々との交流を深める為に行われるもので、今回が三度目となる。植林実施後十年以上を経過している地域や六年連続して担当した湖北省シキ県などを訪れる予定だったが、武漢空港が洪水で使えないなどの状況から、広西チワン族自治区及び福建省アモイ市の二カ所の現場を訪問した。訪問先では中国語版の『私にとって友愛とは』を配布し活発な交流活動を行うことができた。
広西チワン族自治区来賓市象州県では、木々の保水力が自然のダム(池)を造り、近隣の農業に収穫高を上げるという効果をもたらした現実を目の当たりにした。結果、植林に反対していた村民が、積極的に植林活動を行い、村は緑豊かで生活も豊かな村になっていた。二度目の視察訪中でも訪れた柳州鹿寨県では、ユーカリの一種按樹が更に大きく育ち、記念碑を覆い尽くしていた。見渡す限り乾いた土だったアモイ市同安区の現場も、360度緑に覆われ、見違うばかりだった。

分け入っても分け入っても青い山
  —— 日本友愛協会常務理事 川手正一郎

植林が村を変えた

第三次植林地視察で植林に対する私の考えは大きく変りました。

行動する友愛とは…

友愛青年同志会に入会して間もなく、友愛を行動化するにはどうしたら良いのか執行部で討議を重ねましたが、予算もなく全て手詰まりの状態でした。しかし動かぬことには何も具体化できず、初年度は機関紙友愛を都内の繁華街で精力的に配布しました。また、全国的な組織団体とすべく、鳩山派の代議士に働きかけ、会員獲得運動を積極的に行った結果、翌年には第一回全国大会が開催できました。
二年目に入り、組織化と合せて友愛移動文化映画班、三年目に映画に加えて歯科診療を行ったこと等から、友愛の具現化が僅ながら緒についたように思います。
今考えますと友愛運動の原点は、創立二年目位からのように思いますが、入会以来、私の脳裏に何時も去来するのは、行動する友愛でした。そして今でもその信念に変りありません。

来て、見て、聞いて…視察の醍醐味を満喫

しかし、この度の植林地視察で植林が地域の友愛化に大きく貢献している事例を目撃し、目から鱗の感慨を覚えた次第です。それは七月十一日広西チワン族自治区来賓市象州県(二〇〇三年四月来賓県第三次植林)での植林地視察の時でした。案内役の王(植林地管理人)さんが今はダムが出来、植林地の記念碑のところまでは行かれない、そんな説明から始まりました。車で登って来た道が下り坂になるところで道がダムに向って水面下になっていました。

荒地の山が緑の森に、そして村が豊かになった

以前は禿山だったのに何故こんな大きなダムが出来たのか質問すると、次のように説明してくれました。
①植林事業を推進する為には農家の諒解と協力が必要であり、その為付近の農家を説得するのに一ヶ月もかかってしまった。しかし植林を実施したところ、近くの農家も植林の良さがわかり、植林に協力するようになり、友愛の植林現場の近くから、次々に植林が広がり付近一帯緑の森となった。
②近くの山々の緑化が進み、水が湧き、いくつかの水源地が生まれ川となった。そんな自然環境の変化から四年前に農業用ダムが建設された。
③ダムの完成により、ダムの下流に田や畑が耕され、米や野菜、砂糖キビ、そして養鶏や養豚まで盛んになり、農家は金に恵まれ、次々に家を建て替えるようになった。
④農家の環境は大きく変り、年収一〇万元を超す農家も現れ、村全体経済的に豊かになり、今では協力や助け合いが日常的となり、新しい価値観が生まれ、村の雰囲気も和やかで全く変ってしまった。村の人たちは最初に植林した友愛の皆さんに感謝している。

植林は友愛の未来を拓く

王さんの説明を聞いて、村が友愛化しているような感じになりました。
広い中国、友愛の最初の植林は二〇〇ヘクタール 三三万本の「ハチドリのひと滴」でした。しかし、多くの人々の理解と協力により、次から次へと植林が行われ、緑の山々が誕生した経緯を考えますと、友愛にとって植林は日中友好の確実な一歩です。
王さんの献身的な努力で、村人の植林に対する価値観の変化を知り、ダムの向こうの緑の山々が神々しく、思わず両手を合わせました。そして、植林は友愛の未来を拓くと確信しました。

植林とは心に緑を育むこと

今回の象州県の視察は、私の一六年間の植林事業の中で最も幸せな視察であり、生きていて良かったと心から感謝した視察でもありました。
植林の目的は環境と生態系の保全ですが、中国での植林は心と心の交流であり、心に輝く緑を育むことと胸に刻みました。
また鹿寨県での記念碑の発見は、鬱蒼たる樹木と二〜三mのブッシュの中、発見するまでは狐につままれた感じでした。
現地を案内してくれた人は、先頭に立ち、懸命に探し、発見した時の驚きは今でも忘れられません。
こんなところで植林した記憶は全くない。山道から急坂を五〇m程登ったところに、黒ずみ汚れた石の記念碑がひっそり建っていました。友愛の文字とともに派遣者全員の氏名、二〇〇六年二月一九日と確かに刻まれていました。持っていた紙や布で記念碑の汚れを拭いながら何故か涙が止りませんでした。こんな深い森の中、誰も二度とこの記念碑を見ることはない、そんなことを思うと、なんとなく後ろ髪を引かれる思いで感傷的になり、近くの太いユーカリに耳を当て、静かに梢のささやきを味わいました。
地球の緑は平和のシンボルであり、人の心を癒し、命を繋ぐ愛の象徴です。帰路、車窓から緑の山々を振り返り、思わず祈りました。

分け入っても 分け入っても 青い山  山頭火
以上、植林視察感想の一端とします。

中国植林 視察の旅
  —— 日本友愛協会最高顧問 鶴巻克雄

二〇〇一年から十七年間に二十八回の回を重ねてきた植林事業の成果を視察する旅に参加した。
私は二十八回のうち五〜六回しか参加しておらず、最後に参加した植樹からでも十年は過ぎているだろう。渡された日程表には湖北省の武穴、シキ県、広西チワン族自治区の柳州市、来賓県、鹿寨県、福建省の厦門市などの自分が参加した植林地の名前があったので、どこか、この手で植樹した苗木が大木に育った光景に巡り会えるかもしれないとの期待を抱いての旅であった。
上海で乗り換え武漢に飛ぶ予定が、各地で大雨、洪水、土砂崩れが発生していて山間部へ行くことが難しいので湖北省での視察は中止と決まり、予定変更を余儀なくされ上海に一泊。
湖北省への視察日程を雲南省の委員会が肩代わりしてくれ、植林とは無縁の雲南省の麗江、昆明を訪れてから広西チワン族自治区に入る。

十年ぶりの中国

中国経済は沿岸部に沿った都市の成長が著しく、内陸部ほど成長の恩恵に浴してないとの説が多く、そんなものかな、との認識を持っていた。
再訪した昆明、柳州、厦門の街は周囲の岩山や川の流れに昔の面影は残しているものの、まったく別の国の街にきたようだ。街中は、道路が広がり、舗装され、高層ビル、高級マンションが立ち並び、ショッピングセンターには有名ブランドの各店、三〜四階には各種のレストランが入っていて客が大勢入っている風景は東京やサンフランシスコと変わらない。
旧い中国の町並みは消え、どこの都市も金太郎あめのような同じ風景が展開されてきた。
レストランの中で子供たちが走り回り、客が大声で話し合い、外国人の食欲を衰えさせる以外には。
十年前、柳州にはリヤカーにエンジンを搭載したようなタクシーが走っていたが今日では見かけない。わずかに、来賓市や鹿寨県でそのような車が走っていたのを見つけた時には懐かしささえ感じられた。
柳州には自動車工場もあり、郊外には工業団地が開発され、拡大を続け、高速道路が何本も作られている。 
満足にシャワーの水も出ず、堅いベッドで寒さに震え、持っている衣類を全部着込んで一夜をしのいだ、アパートか兵舎のようなホテルに宿泊した経験を持つ者が、同じ町で高層、冷暖房完備、バス、トイレ、シャワー、エレベーター、電子カードの鍵付きの部屋から夜景を眺めては何回「ここは中国なんだ」と自分自身に言い聞かせなければならなかったことか。

記念碑について

植林事業の記念として植林地には必ず中国、共青団—省委員会 —市委員会と日本友愛協会との協力で植林された旨を記載された(裏面には友愛から参加した者の氏名が書かれていることもある)記念碑が建てられ、記念式典の際に除幕式が行われた。
過去にも何回か既植林地を視察した。その際には三〜四キロメーターほども離れた所から、あの山からこの山までが植林されたところだとの説明をされ、記念碑までは距離がありすぎる、道路が崩壊していて近づけない、などなどの理由で一回も記念碑に再会したことがなかった。
今回の旅では湖北省の視察はキャンセルされたので広西チワン族自治区の来賓市、鹿寨県、福建省の厦門には大いに期待が持たれた。
十三日午前は来賓市第三期植林地、柳州から南へ高速道で一時間半ほどの距離。インターを降りて五分もしないうちに道路は農業用ダムの湖底に続き通行不能。対岸の小高い丘が植林地との説明にうなずき、遠望するばかり。
午後、来賓市第二期植林地へ、市街地を抜け十分ほどの地点でバスは停まる。橋が落ちて工事中。
二〜三キロメータ—先の山一帯が植林地で「日中友好」と植林で書いたところは山の向こう側との説明にがっくり。

記念碑は本当に現存するのだろうか?

十年ほど前、新疆ウイグル自治区のウルムチからクチャ、を経て楼蘭、敦煌に旅した時のことが思い出された。タクラマカン砂漠の中に毎年、その位置が変わる「幻の湖」といわれたロブノール湖の跡に無数の石のかけらを見たことがある。それらの石のかけらには、この地に到達した記念の文字が書かれていた。旅の記念としての碑と日中の人々が協力して植林した記念碑とは意味が違うのだから、とは思いながらも、こう再会することが出来ないのは既に破壊されていて建設地に案内することが出来ないのでは?との疑念を感じさえしてきた。
十四日午前、鹿寨小学校を再訪、十年前に友愛図書室を寄贈してから二〇〇七年、二〇一一年と再訪している学校だが今回はその図書室に本と図書室増強のための資金を寄贈のため。
二〇〇五年に初めて訪問したときから十三年も校長を務めているヨウ先生との再会に感激。
午後、鹿寨県の植林地へ。 市のはずれの橋のたもとから植林当時から植林地を管理しているというYさんが乗り込む。
四十度を超す猛暑の中、バスの泊まったところから三十メーター〜五十メーター上方に記念碑があるはずとのことでYさんが先に藪の中へ入っていく。彼の声を頼りに、下草の茂った、道もないところを、下草で腕に切り傷を作りながら登って記念碑を確認、周囲に植林し成長したユーカリ(樹高十五〜二十メーター、太さ七十〜八十センチ)に満面の笑顔で抱き着く川手、羽中田両氏。記念碑と再会できてよかった。感無量。

記念碑は何のために作るのだろう

何かの事業を記念して作成され、後人にその事業の目的や関係者の名前などを知らしめるために作成するものであろう。そのためには人の目に触れるところに作ってこそ意味があるはずなのに道路から離れ、道もなく、藪に覆われ人目に触れないような場所(植林時にはどこからでも見渡せる場所ではあったが)では意味が薄れてしまうのではないか。
後日、厦門の翔安区、同安区でよく整備された公園のような場所にいつでも人の目に触れる場所に設置されていた記念碑を見てからの感想。
十年目の再訪は、高齢者が視察に訪れたことへの称賛の声が聞かれたものの、浦島太郎のような心境の旅となった。

鹿寨小学校訪問
友愛図書館に『ドラえもん』『星の王子さま』

日本友愛協会 活動詳細
のトップに戻る