財団法人日本友愛青年協会
TOP >沿革 > 鳩山 威一郎

3代目会長 鳩山 威一郎

官僚としての頂点 大蔵省事務次官に就任

入省後は、太平洋戦争だったため、軍艦に乗務、このころ、ブリジストンタイヤの創始者・石橋正次郎氏の長女である安子さんと結婚した。

終戦後、大蔵省に戻った威一郎は、理財局長、主計局長などエリートコースを順調に進んだ。その間、53年に父・一郎先生が友愛青年協会の前進である友愛青年同志会を結成、翌年には鳩山内閣が発足している。

59年に一郎先生が逝去すると、友愛の会長を次いだ母の薫子夫人はじめ、関係者に強く政界入りを進められたが、断っている。
71年には官僚としての頂点、大蔵省事務次官に就任し、57才で退官。翌年本協会副会長に就任した。

政治家に転身、友愛社会建設に心血を注ぐ

一郎先生の後継者として友愛社会の実現をなし遂げて欲しいという周囲の熱い要望を受け、政治家への道を選ぶ。
友愛では、OB会を中心に着々と「友愛政治連盟」発足の準備を進めていたが、ようやく現実の運びとなり、73年11月に、全国から500名の会員が参集し、結成大会を開催し、連盟として威一郎副会長を推薦することを満場一致で決議した。

74年の全国大会で、薫夫人が名誉会長になり、会長職をバトンタッチ、威一郎会長が本格的に友愛運動を指導していくことになった。

衆院選で、史上初の親子3人当選

多くの支持者を得て、74年の参院選全国区で自民党候補として初当選。76年、福田内閣の外務大臣に就任。その外交手腕を、日ソ漁業交渉、日中平和条約の予備交渉、日韓大陸棚協定などで発揮した。

82年、日中国交正常化10周年祝賀行事に中国から招待を受けて訪中、大いに親善友好を果たしている。

86年には、衆参同日選挙が行われ、威一郎会長の長男・由起夫氏、邦夫氏が衆院選で当選し、史上初の親子3人当選を果たしている。92年に体調を崩して政界を引退、93年に逝去。

サイトマップ | お問い合わせ | プライバシー Copyright(c) , 一般財団法人 日本友愛協会