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2006年8月 鳩山一郎・薫ご夫妻銅遷座式挙行 軽井沢友愛山荘での銅像遷座竣工式の様子はこちら

東京都文京区護国寺の境内8月4日(金)東京都文京区護国寺にて、鳩山一郎・薫ご夫妻の銅像を移転するための遷座式が執り行われました。

この銅像は、鳩山一郎先生が総理大臣に就任した折、文京区から総理大臣が輩出されたことを祝って、一郎先生の後援会を中心に秋本平十郎氏、浦部武夫氏、井上卓一氏、利根川正次氏、奥村孝三郎氏等が発起人となり前護国寺貫首岡本数海氏のご協力を得て建立されたものです。

鳩山一郎・薫ご夫妻の銅像威厳の中にも優しい眼差しの一郎先生と、凛として美しい薫先生のお二人の姿を捉えた名作で、護国寺本堂への道にあり、参詣の人々を永年に亘って見守ってこられました。

この度、日ソ共同宣言議定書調印50周年を機に、お二人の銅像を鳩山一郎先生がこよなく愛着をもっておられた軽井沢(現友愛山荘の地)に移転する計画が持ち上がり、実行されることとなりました。

遷座式は、この計画に則って行われたもので、軽井沢友愛山荘への移築が終了するまでの一連の作業の始めとなります。

遷座式の参列者遷座式の様子遷座式の参列者

鳩山安子名誉会長、井上和子副理事長、石橋義夫氏の献花遷座式には、鳩山安子名誉会長を始め、井上和子氏(本協会副理事長)、石橋義夫氏(共立女子学園理事長)、川手正一郎氏(本協会常務理事)、など関係各位が多数参加、各人がもつ万感の思いを胸に、お二人の銅像を見上げていました。

岡本永司貫首式はまず、大本山護国寺岡本永司貫首ほか一山職衆により四智梵語(しちぼんご)の経が唱えられました。

遷座式の様子読経の後、鳩山安子名誉会長は挨拶に立ち、「文京の地を離れることには一抹の寂しさも覚えますが、父と母が愛着をもって過ごした軽井沢の地、現友愛山荘に落ち着くことは、父にとっても母にとっても新たな喜びを感じていただけると思っています。建立にご尽力くださった方々、今回の移転にご尽力くださった方々に、心より御礼申し上げます。」と思いを述べました。

銅像の銘板に刻まれた記述をご紹介

銅像の銘板の拡大

ここに銅像の銘板に刻まれた記述をご紹介します。

鳩山一郎先生明治十六年東京都に生る 明治四十年東京帝国大学英法科を卒し直ちに弁護士となり先代和夫先生の法律事務所に入る
明治四十五年二十九歳の時父君の逝去による補欠選挙に出馬して東京市会議員に当選
以来大正末期まで十五年間を地方自治に尽くしその間副議長議長となる
同時に大正四年衆議院議員に初当選爾来国会議員在職三十有七年当選十五回を数えた
この間内閣総理大臣となり三次にわたり内閣を組織して国勢を担当した先生の政治生活はそのまま我が国の政党史であり政治史であるがせんせいは戦前戦後を通じ一貫して民主主義と自由主義をもって国勢の大本とする信念のもとに議会政治の確立擁護のため奮闘した
殊に終戦後いち早く政党政治再建に奔命し昭和二十年十一月同志とともに日本自由党を結成
その初代総裁となる
昭和二十一年四月の総選挙では一躍第一党となりまさに組閣の大命を受けようとする寸前連合軍の公職追放指令を受けた
爾来五年余を晴耕雨読に送ったが特にクーデンホフカレルギーの著書に共鳴自ら「自由と人生」と題して訳出した また青年有志に友愛精神を説き同志会の創設に力をそそいだ
昭和二十六年六月病に倒れ同年八月病床中に追放解除さる
翌二十七年再び政党に復帰した 昭和二十九年十一月民主党が誕生その総裁となる同年十二月吉田内閣総辞職のあとを受け第一次鳩山内閣を組織総裁選挙の結果民主党は第一党となり第二次鳩山内閣を樹立した
三十年十一月自由民主両党の合同を達成第三次鳩山内閣を組織し翌三十一年四月初代自由民主党総裁に選ばれた同年十月ソビエト社会主義共和国連邦との国交正常化を目的とする交渉のための全権として病身をおしてモスクワに赴き復興の大業を遂げた同年十二月十八日わが国の国連加盟が承認されこれを見届けて同月二十三日挂冠した
内には保守の大合同を完成して議会政治の基礎を固め外には国連加盟成就し我が国の国際地歩を高め政治家としての使命を果たして引退する先生の心境は自ら明鏡止水といわれた
自ら友愛精神を説き悠々自適の生活はついに三十四年三月七日終止符を打った
享年七十六  正二位大勲位菊花大綬章を授かる 昭和三十九年十月吉日 秋本平八郎撰

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